2012年5月1日

南三陸福興市の肖像

南三陸福興市
南三陸町で蒲鉾店を営む「南三陸町福興市」実行委員会副委員長の及川氏。彼のように、古くから町の商店街を支えてきた有志達と全国の商店街ネットワークが福興市の原動力となっている。


  
一周年を迎えた「南三陸福興市」の軌跡

2012年4月29日、一周年を迎えた福興市(ベイサイドアリーナ)
震災の翌月、人々が未だ避難所生活を余儀なくされていた最中の4月末。南三陸町で震災後初の市場が開催された。場所は避難所の一つである志津川中学校。地元企業の有志達が立ち上がり、様々な支援を経て行われた市場は「福が興(おこ)る市」という意味を込め「福興市(ふっこういち)」と名付けられた。きっかけは全国の商店街と深い繋がりを持つ「全国ぼうさい朝市ネットワーク」藤村氏の熱い想いだった。「こんな時こそ即座に立ち上がろう。売る物は全国からかき集めればいい、もう一度元気を取り戻すために市場を興そう。まずは商売が立ち上がらないといけない」。そして藤村氏の繋がりで、即座に全国の商店街が動き出した。地元企業の有志達もそれぞれの持ち場である避難所運営の合間を縫って準備を進めた。そして震災からわずか一ヶ月足らずで「第一回南三陸福興市」が幕を開けた。生活用品、食材、人々の賑わい。全国商店街の店主達が自ら持ち込んでくれた多種に渡る品々が町に元気を与えた。そしてその売り上げは、町の復興資金として提供された。震災であらゆる物を失い、暗い避難所で寄り添い生きていた町民に、明るい笑顔が戻った瞬間だった。福興市の始まりは、こうした様々なネットワークの力を借りて見事に実現され、町が元気を取り戻す希望の光となった。それから毎月、全国の商店街やボランティアの力を借りながら福興市は続いている。



「福興市」もうひとつの役割


福興市には町を元気にするもうひとつの重要な役割がある。それは、かつて共に暮らし離れ離れになった町民が「再会できる場」を提供し続ける事だ。月に一度開催される福興市の会場では、再会を喜ぶ人々の姿が後を絶たない。仮設住宅での生活を余儀なくされている人々、やむなく故郷を遠く離れてしまった人々が、この福興市で思いがけなく再会する。共に喜びに浸り、互いの健康を気遣い、そして再びそれぞれの場所へと戻って行く。震災からわずか一年、報道の数も激変した今、時を経てもなお人々の奮闘は続いている。長く厳しい冬が終わり、桜が咲き、子供達の笑い声が聞こえるようになり、一見復興へ歩み始めたかに見えるが、今でも生活の不自由さは解決されていない。それでも今、我々は立ち止まる事ができない。様々な人々の力を借りながら、前へ突き進むしかない。震災直後から奮闘し続けてきた商店主達は相変わらず精力的に働いている。いくつもの困難を乗り越えて来た世代だからこその、港町の底力を感じる。そして福興市から始まった原動力は今も尚続いている。今だからこそ知恵を絞り、助け合い、ひとつになり、乗り越えて行きたい。図らずとも被災し、人生が大きく変わってしまった事実を背負い、とにかく必死に生きて行きたいと思う。
 
第13回南三陸福興市の様子。全国から様々なアーティストも駆けつける。人々の笑顔が溢れている。








  
南三陸福興市


2012年4月で一周年を迎えた福興市、今後も開催場所は「南三陸ベイサイドアリーナ(南三陸町役場 スポーツ交流村」を予定している。福興市の開催日は「毎月最終週の日曜日」となっている。当日は混雑するため自家用車での乗り入れはできない。会場近くに設置された臨時駐車場に車を止め、シャトルバスで会場へ向かう。


福興市の詳細はこちら(福興市公式サイト)にて事前に要確認。


南三陸福興市公式サイト
http://fukkouichi-minamisanriku.jp/




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Text・Photo = K.Yamauchi(Progress南三陸 編集長)